久しぶりに経済の本を読みました。

1997年――世界を変えた金融危機 (朝日新書 74)


おもしろく読めました。経済のお話なので私が語ってどうなるわけではないのですが、印象に残ったのは、「リスク」と「不確実性」というお話。


wikipedia:不確実性 によると、

不確実性:発生確率が不明で計算できない。
リスク:何が起こるかと、発生確率が分かっている。金融工学でヘッジできる。

だそうです。


で、温暖化の話です。ブログを始める前、とある温暖化懐疑論記事をある人のブログに見つけまして、コメントしたことがありました。まあフルボッコにあってしっぽを巻いて逃げてきたのですが、そのなかで、温暖化研究者はきちんと温暖化のリスクを評価すべきだ、とのお叱りと出会いました。


私に言われても、ってなお話なのですが、つらつら考えるに、地球温暖化を唱える科学者はリスクを語っているのか、不確実性を語っているのか、どちらなんだろう、と思い始めました。


リスクリスクって、どこまで「リスク」を語れるのだろう?


将来の温度上昇が何℃みたいな話があるので、そこそこ定量的に温暖化が予測できている、というイメージがあるかもしれません。そのせいで、たとえば海面高度が何 cm 上がって、それにはこれこれの対策を取るべし、みたいな。これだとリスクを評価しているイメージですよね。


でも、本当は違うんですよね。定量的に語れる部分はできるだけ定量的に語っているものの、その背後には大きな不確実性が隠れている。


たとえば、氷床の動きなど、わからないことだらけです。エアロゾルが温暖化にどのような影響を及ぼすかも複雑でまだまだわからないことが山のようにあります。


だから、温暖化を「リスク」としてとらえようという姿勢は、私にはちょっと怖いんですよね。「不確実性」の占める割合がかなり多いと思います。


とはいえ、ではどうすればいいのか、というと、今のままで良いかなとは思います。IPCC定量的に調べられるところはできるだけ定量的に評価し、誤差についても定量化しています。リスクはリスクとしてきちんと把握すべきです。


一方で、定量化できない部分は、研究の進展を待つしかありません。もしかしたら、来るべき温暖化に間に合わないかもしれない。でも、それは人類の能力が足りなかったわけで、いかんともしがたいのです。


気候変動に関して、人類は「不確実性」の時代を生きています。


でもね、これは何も今に始まったことではありません。人類は常に不確実性の中で生きてきました。


このような局面でどう振る舞うかは、既に古来の知恵が答えを出しているわけです。それは、たぶん、


人事を尽くして天命を待つ


最善と思える研究結果をまとめ、知識が広がるにつれて更新し続け、それを元にできる限りの対策を取る、その上で、未知の出来事を軽視しすぎないよう畏れを抱きつつ、不必要に怯えない。


まあ、実行するのは難しいのですが。