SPEEDI 考 (5): 長い歴史の SPEEDI

SPEEDI について、google 先生に聞きながら調べています。これ、そもそも昭和 55 年度に開発スタートだったみたい。かなり前ですね。


緊急時環境線量情報予測システム(SPEEDI)-- 原子力百科事典 ATOMICA
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=09-03-03-01


そもそも SPEEDI とはなんぞや。

 緊急時環境線量情報予測システム(SPEEDI)は、原子力発電所等の原子力施設において大気中への放射性物質の放出が予想される事故が万が一発生した場合に、施設周辺地域への影響を計算機により迅速に予測計算し、避難対策の策定・実施に役立つ情報をいち早く提供することを目的としている。日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)を中心に昭和60年までに開発を終了し、現在(財)原子力安全技術センターにより各地方自治体を通信ネットワークで結んだ実用システムが運営されている。

なるほど。で、昭和 60 年までに開発を完了しているとのこと。ずいぶん前ですね。


この文献に書いてあった SPEEDI の開発史を簡単に紹介しておきましょう。


スリーマイル島の事故をうけて、1980 年に日本原子力研究所 (原研、現 (独) 日本原子力研究開発機構) において気象研究所の協力の下開発が始まり、1985 年には基本開発を終了。次いで実用化のための調査、整備が 1984 年から始まり、実用化事業は 1985 年より原子力安全技術センターとのこと。


1980 年、つまり今から 30 年以上前から開発が始まっていたんですね。実用化事業も 1985 年から。こんな記述に歴史を感じました。


計算結果(風速場、大気中濃度、地表面沈着量、空気吸収線量率、外部被ばく線量、内部被ばく線量)は、グラフィック・ディスプレイやプリンターに出力表示される(図2)。


今ならわざわざ「グラフィック・ディスプレイ」や「プリンター」なんて書く必要があるでしょうか?でも、開発が始まった当時、リアルタイムで出力するのはなかなかのシステムだったのでしょう。こんな図が例として書かれていましたが、こちらにも歴史を感じます。クリックしてみてね。

http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/09/09030301/05.gif

なんとも素朴で味のあるコンター図ですな。もちろん、それは現在の私たちの見方。iphone よりも性能の劣る計算機ですべてをこなしていた当時、現在の SPEEDI よりも荒っぽくそっけないシミュレーション結果の絵でも、大きな意味があったはずです。


1985 年というのは、日本にようやくインターネットが上陸した時代。日本でもニューメディアという言葉が大きく取り上げられたり、キャプテンシステムなどが話題になっていたりしたはず。ネットワークでつないでリアルタイムで気象庁のデータを運び、領域気象のシミュレーションを実行、その結果を各自治体にやはりネットワークで届ける、という SPEEDI の開発計画は、当時としては最先端だったことでしょう。


また、このあたりはスパコンの日米貿易摩擦がはじまったころ。性能で Cray を打ち負かした日本企業の計算機をアメリカの研究機関が購入できない事態となり、日本の研究機関の計算機環境はアメリカのそれを凌駕しはじめます。原研のシステムを使えたとしたら、計算機環境は世界トップクラス、アメリカの同様なプロジェクトも太刀打ちできなかったかもしれません。そうだとすると、SPEEDI で開発される気象モデルは、お世辞抜きに世界最先端と呼べる研究だったのです。


ま、原発の事故対策は広い意味で安全保障の研究です。安全保障の研究たるもの、世界最先端であるのは当たり前かもしれませんが。え、二位じゃだめなんでしょうか、ですって?さあ。


どなたが SPEEDI の開発を進めていたのか存じませんが、このような野心的なプロジェクトに関わった人は幸せだったと思います。たぶん、予算にも恵まれていたわけですし。


1985 年に開発完了と書いてありますが、その後も開発は続いていたはずです。チェルノブイリの事故もあり、広域版 SPEEDI である WSPEEDI の開発も行われることになりました。今回発表された一連の出力結果を見ていると、計算機環境の進化に対応もなされているようです。どうも、連綿と開発は行われてきたように見える *1


そして、その開発の結果はどうだったのでしょうか?すくなくとも今回提示された結果を見る限り、シミュレーションプログラムの開発については満足のいくものだったと思います。どこに出しても恥ずかしくなさそう。


システム全体で見ると、想定外の事態に対応できなかった残念さは残るわけですが。


ありゃりゃ、思わず長くなってしまった。書きたいことがかけていないので、それは次の記事で。

*1:とはいえ、先の記事の masudako さんのコメントにあったように、最近のどこかの時点で「開発者」から「オペレータ」へのバトンタッチがあったのかもしれません。