IAC レビュー報告書についての続きです。

こちらの記事の続き
IAC の IPCC レビュー報告書が
http://d.hatena.ne.jp/onkimo/20100910/1284089680


IAC の報告書を理解するには、IPCC の成り立ちを考える必要があります。とはいえ、私にはなんの知識もないので、こちらの本に書いてあることをベースに書いていきます。


温暖化の“発見”とは何か


これ、温暖化を語る人、懐疑論を語る人双方に熟読していただきたい本です*1


この本の 180 ページから始まる第七章は「政治の世界に入り込む」との表題です。冒頭、アル・ゴアがキーリングの CO2 増加のグラフに出会うところから始まっていています*2。その後、政治の側の動きと科学者の動きが相互作用しながら、地球温暖化が次第に一般社会に知れ渡っていく様子が、次の第八章「発見の立証」にわたって描かれています。<追記> 以下の記述は、自然科学の側からの視点、IPCC で言えば、第一作業部会の立場での視点です。経済、政治、社会学的な立場からの視点は、やや異なるでしょう。IPCC でいえば第二、第三作業部会に当たる立場では、下記の記述とはまた違った味方になりそうです。


IPCC の前の時代、次第に人類の活動が地球に影響を与える可能性が認識されてきました。時あたかも 1980 年代、核戦争の結果舞い上がったチリで地球が凍り付いてしまう「核の冬」や、スプレーなどに使われたフロンによるオゾン層破壊などのイメージが一般大衆の中に広まっていきます。


人為起源 CO2 による温暖化も、そういった潮流のなか受け入れられていきました。とはいえ、温暖化を語れる気候学者は現在より格段に少なく、世界で数百人、それも分散して存在していました。気候学者の国際組織はそのころまでに WCRP や IGBP などがありましたが、提言を求める人類の要求を満たす能力はありませんでした。


そこで生まれたのが IPCC でした。初代議長、中立国スウェーデンの気候学者であったバート・ボリンの尽力により、世界のトップクラスの気候学者を集め、1990 年に最初の IPCC 報告書をまとめました。


ところで、環境問題が一般の関心を集めることを苦々しく思う勢力も存在していました。産業界と、そのバックアップを受ける保守派の政治家達です。温暖化問題に関して提言を行う科学者の組織が出来ると、彼らの利益に害をなしそうです。とはいえ、世間の趨勢は止められない。


温暖化について討議する組織が出来るのは仕方ない。でも、そこで環境活動家が好き放題するのは許さない。いや、ある程度こちらの意志が反映できる組織を作って環境活動家の行動をコントロールできるのであれば、そちらの方が好ましい。


IPCC の組織は、いろんな思惑が重なってできあがったものでした。それは科学者だけの集団ではありません。各国から代表として政治家が送り込まれてきます。先進国からも、発展途上国からも。温暖化の影響をまともに受ける島嶼国からやってくる人たちもいます。一方で、CO2 を排出する原油こそが商品の産油国からも代表がやってくるわけです。彼らは、「環境活動家」達の「暴走」を「コントロール」する役割を担っている。


IPCC は全会一致が建前ですが報告書をまとめるにあたっては、科学者が認めるだけでは十分ではなく、政治家達の承認を必要とします。ぎりぎりの妥協の産物であり、そこから出てくるのは、かなり保守的な *3 意見です。とはいえ、気候学者をはじめとする研究者と懐疑的な人も含む政治家が承認した報告書に書かれた事実は、重みがありました。


IPCC は 1995 年、2001 年、2007 年と報告書を出していきます。その間、次第に扱う分野が広がっていきました。参加者も増え、報告書の厚さも増していきます。第一次報告書の時はまだまだ確証されたとは言い難かった人為起源の地球温暖化も、その後の研究の進展により疑いようがなくなってきました。


この間に、1997 年に開かれた COP 3 で京都議定書が採択されます。未だに毀誉褒貶相半ばし、日本が達成に向けて苦しんでいるこの議定書ですが、それでも世界に CO2 削減の流れをビルトインすることにこの議定書が果たした役割は大きいでしょう。科学者の興味の対象や環境活動家の理想に過ぎなかった温暖化対策が、政治のアジェンダになり、経済界が無視することの出来ない実態として浮上してきたのです。


コペンハーゲンCOP15 では京都の次をまとめることは出来ませんでしたが、そのあとも継続した努力が続いているのは国際社会の流れ。懐疑論者が声高に叫ぼうとも、人為起源温室効果ガスによる温暖化というのは、すくなくとも今のところ、疑いようのない事実として受け入れられているのです。


そして、世界は、温暖化についてより多く、かつ、細かい情報を求めるようになってきました。IPCC が大きくなったのも、その要求に応えるためだった。しかし…


長くなったので次回へ続きます。

*1:ちなみに、翻訳は masudako さんがなさっています。onkimo は本当に masudako さんに頭が上がりません

*2:これ、懐疑論者の人が舌なめずりして飛びつきそうな章です。「やっぱり地球温暖化って科学じゃなくって政治だよね」みたいな感じで。確かにある面ではその通り。でも、じっくり読むとそんな解釈は皮相なものに思えてきます。

*3:政治的に保守的、というわけではありません。懐疑的な立場の人も含めて多くの人が合意できるような、控えめな、という意味です