世間はエイプリルフールみたい

ですね。


個人的には Google の新しいキーボードが面白かったです。いえ、他にもいろいろ面白い記事はあるとは思いますが。


でも、今日書くのはエイプリルフールとはまったく関係ない話題。


先日の槌田さん裁判の記事に、「槌田さん側」とおっしゃる方からコメントをいただきました。ありがとうございます。この記事、読んでくれてるかな?


 エントロピーで気象学を作ることに専念されたほうがよいというのは貴重なご提言で、槌田敦の著書の「熱力学外論」に提起されている新しい熱力学理論をさらに完成度を高めることは物理学に大きな貢献ができることだと思います。


そんなに貴重かな?槌田さんが科学者が本分であることを考えると、しごく当り前のことだと思うのですが。


あ、でも、よく考えれば、エントロピー気象学の構築は別に槌田さんがやる必要があるわけではないんですよね。もちろん、槌田さんの能力は貴重なはずなので彼自身がやるのがよいのですが、そうではなくても、槌田さんの指導の元、優秀な協力者が研究を進めていけばいいはずのことです。


で、思ったのですが…。


槌田さんの周りに、志をともにする科学者の方はいらっしゃるのかな?


もしいらっしゃらないなら、不幸なことと言わざるを得ません。


槌田さんのなさろうとしている「科学」は、大変難しいものです。科学者以外には歯が立たないでしょう。ですから、科学者ではない槌田さんの支援者が口をはさむことはできません。


で、見たところ、科学者が、すくなくとも、槌田さんの科学の発展を強く願い、それに研究生活を捧げている優秀な科学者が、居るようには見受けられません。槌田さん以外の人による、たとえばエントロピー気象学についてのオリジナリティのある研究が見えないので。


槌田敦は、物理学の発展よりも物理学者の社会的責任を果たすことを選んだと思います。


そして、槌田さんの周囲には、槌田さんの科学の発展を支援することができないけれども、社会的責任を果たすことについては支援できる人が集まってきているのだと私は想像しています。


そのような人達に対して高度な物理学を語っても、「すごいですね」と褒めてもらえるだけでしょう。それでは物理を語る人間としてはつまらない。知的な刺激のある丁丁発止の会話があってこそ、科学はおもしろのでね。


槌田さんの科学を発展させるためには、槌田さんと並ぶ能力を持つ、高度な科学知識を持ちつつも、批判精神に富んだ同僚の科学者が必要です。でも、居なさそうですね。たとえば、槌田さんの論文に含まれる誤謬をチェックしてあげられる人がいないのですから。


科学を語り合うことのできない支持者に囲まれてると、自然、向かう先は「社会的責任を果たす」方向になるわけです。自分を支えてくれる人達を喜ばせたい。当然ですよね。科学を語っても聞いてくれる人がいなくてつまらないし。


槌田さんの支援者によると、強大な権威が槌田さんを潰しにかかっているようです。論文の採用も不公正なら、裁判も問題あり。周囲は敵だらけ。


でも、そんな状況であればこそ、科学に専念すべきです。科学の審判者は究極的には「自然」です。権威も手の出しようがない。


そりゃ、いまは正しいことを言っても受け入れてもらえないかもしれません。でも、素晴らしい科学を唱えつづけていれば、そして、それが気象学会の騙る科学より優れていたら、時が解決してくれるはずです。


裁判の方が効果的に見えるかもしれません。でも、万が一勝訴に終わっても、科学に関して言うと、ただそれだけ。裁判などどこ吹く風で、気候学は判決なんか気にせず前へと進んでいくのです。裁判にかまけるよりも、科学に専念した方が、たぶん、早道ですよ。


ま、でも、科学がわかる人が仲間にいないとしたら、しかたないですね。


もはや裁判でしか語り合うことができなくなった、気候学のコミュニティと槌田さんおよびその支持者たち。


なんという悲劇でしょう。


でも、あまり悲しくないのはなぜだろう。