昨日取り上げた finalvent さんの

記事の中で、ちょっと気になるところがありました。主な点は昨日書いたのだけど、そのほかにも二点ほど。


どうやらあと20年くらい、地球温暖化は進みそうにない -- 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/10/20-447e.html


科学と非科学は厳密に区別ができると言う人々がいるが、私には、地球温暖化の是非について問われるとよくわからなくなる。そのあたりは以前、「極東ブログ:[書評]正しく知る地球温暖化(赤祖父俊一)」(参照)にも書いた。もっとも、これは科学対非科学というより、科学対科学の対立ということでもある。ただし、どっちにしても科学で真実が極まるというものでもなさそうだ。


まず、第一点目は「非科学」について。科学と非科学は厳密に区別ができると言う人々がいると言っているが、誰のことだろうか?この手のことを議論しているのは、疑似科学批判を精力的に行っている人たちだと思うが、その人たちがこんなことを言っているとは思えない。


私の理解では、科学と非科学(疑似科学エセ科学?正確な用語は私にはわかりません) の間には広いグレーゾーンが存在し、厳密な区別は難しいはず。ただ、一方で、明らかに非科学である、と言えるものは存在して、それが社会に害悪を与える可能性があるので批判活動が行われているのだと認識している。


なぜ「科学と非科学」についてここに触れているのかわからない。IPCC と赤祖父さんの間の相違は、科学と非科学としてとらえるのではなく、科学の枠内での正誤としてとらえれば良い話であって、それは finalvent さんもわかっていて文章中に書いてある。だから、なぜ「科学と非科学」なのかがわからないのである。


赤祖父さんの論が非科学だと言っている人がいるのだろうか?一方で、IPCC が非科学だと言っている人はウェブ上には大量にいるのでそちらのことを指しているのかもしれないが。


私の意見では、赤祖父さんの温暖化論は勉強不足の範疇で、せめて IPCC の報告書くらいは読んでから発言してほしいと思う。目は通しているみたいなのだけど、理解はしていないし、今後も勉強する気はないのだろうな、という状態。でも、非科学と言うのは違うと思う。


もう一点は、どっちにしても科学で真実が極まるというものでもなさそうだ。 という文章。


これについては、科学とは何か、という問題になると思うのだが、もし「科学で真実が極まる」というのが、たとえば 100 年後の地表気温の完璧な予測を指しているのなら、 finalvent さんの言うとおりだろう。


でも、科学は予測のための道具ではない。自然を理解する手段であり、人類社会に役立つ予測はある意味おまけである。人為起源の温暖化に関しては、いずれ科学の範疇で決着がつく。少なくとも 100 年後には IPCC と赤祖父さんのどちらが正しかったかの結論が出るはずだ。


研究者でない人たちが地球温暖化の科学に何を期待しているのかはよくわかる。だから、このような文章を書きたくなる気持ちもわかる。


しかし、「科学と非科学」を扱って議論する文章の中に、このような文が紛れ込んでいると、何を言っているのかよくわからなくなる。


finalvent さんは、科学を、そして、温暖化の科学をどのようにとらえているのだろうか?そして、どんな期待をしているのだろうか?