懐疑論と懐疑論批判の

関係について、参考になる記事。


右翼と左翼、論理と感情 -- マーケットの馬車馬
http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2004/08/post_1.html


ここで、左翼の人たちが(もちろん例外はある)論理的な思考に欠ける傾向があるという話の後に、


本来はこれらの価値観の上に様々なロジックを乗せて初めて主張としては完成するのだが、この価値観だけでも十分見栄えがするので、ロジックをすっ飛ばして結論に至るケースが多くなる(隣人を愛せよ→全ての戦争を今すぐやめよ、とか)。やりすぎると宗教っぽくなるのだが、根っこの価値観が強烈なだけに、無理もないことだとも言える。

と書いてある。


懐疑論も、反体制や官僚批判などの旗印だけで十分に見栄えがする。


一方で、右翼については、もともとそれが定義があいまいで、もともとはフランスのジャコバン派ら左翼革命勢力に反対する保守派一般を指すものだったため、よって立つところがあいまいで、


だから、右寄りな主張をするときには十分な理論武装が欠かせない。世の中の仕組みを学び、左翼の人たちが抱く理想をある程度までは認めながら、現実的な落しどころを探る姿勢があって初めて、我々は胸を張って議論することが出来る。右翼の感情論は見栄えが悪いことこの上ないのだ。


である。


懐疑論批判も、懐疑論があって初めて成り立ち、懐疑論のアンチテーゼでしかないので、理論武装が欠かせず、感情論は見栄えが悪いことこの上ない


ということで、懐疑論批判はやりにくいです。気をつけましょう。