温暖化を語るのが格好悪い

時代になってきたのだと思います。そして、それが温暖化懐疑論の隆盛につながっているのだと思います。


これは、以下の二つの記事の続きです。先にお読みください。


佐藤亜紀さんの本を
http://d.hatena.ne.jp/onkimo/20100323/1269334376

「マーケットの馬車馬」という
http://d.hatena.ne.jp/onkimo/20100330/1269920398


最近、地球温暖化懐疑論がいろいろなところで見られるようになりました。いえ、私は以前から懐疑論を見てきていたのですが、最近は日本のマスメディアにも登場してくるようになってきたということです。


たとえば、産経新聞の記事。

【あめりかノート】ワシントン駐在編集特別委員・古森義久 -- MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100302/amr1003020254000-n1.htm


そして、読売新聞の社説。もう読めないので、気候変動千夜一話の masudako さんの記事を読んでください。

読売新聞社説「地球温暖化 不信を広げる研究者の姿勢」について -- 気候変動・千夜一話
http://blog.livedoor.jp/climatescientists/archives/1120733.html


また、nikkei ecolomy でも、池辺豊さんが、温暖化の科学にまだまだ未知の点が多いとして、予防原則の濫用を戒めています。それはおっしゃるとおりなのですが、クライメイトゲート事件を引用しているのがなんとも…。

[求]予防原則は諸刃の剣−科学的知見が重要(10/03/19) -- 環話Q題 Nikkei Ecolomy
http://eco.nikkei.co.jp/column/kanwaqdai/article.aspx?id=MMECzh000018032010


まあ、見た感じのところ、これらの記事は科学部の人が関わっているわけでもなさそうです。マスコミの中でもわかっている人はちゃんとわかっているようです。あ、でも、日経エコロミーの人は例外か。


とにかく、温暖化懐疑論が日本のメディアに登場するようになってきた。


以前、クライメイトゲート事件に関して finalvent さんが

どうやらあと20年くらい、地球温暖化は進みそうにない -- 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/10/20-447e.html


にて、

日本で言えばNHKみたいな公共放送であるBBCが気候変動懐疑論者(Climate change sceptics)の話をそれなりに、おちょくりでもなく取り上げてきたのかと驚いたということだ。つまり、このあたりが一般向けの国際ジャーナリズム的な転機の潮時の合図なのかなと思ったのだった。


と書かれています。これについて、

finalvent さんによると、
http://d.hatena.ne.jp/onkimo/20091012/1255344162

という、転機なんておおげさなものかいな、というニュアンスの記事を私は書きました。


国際ジャーナリズムがどう変化したかを把握するのは私には不可能ですが、日本のジャーナリズムが以前と比較して懐疑論を取り上げるようになってきた気はします。その意味で、私より finalvent さんが正しかったのかも知れません。


なぜそうなったのか。理由はいろいろとありそうです。政治的な動きとか、利害関係の衝突とか、いろいろ。


でも、最大の理由として、温暖化論を語るのが相対的に格好悪いことになってきたこと、それに呼応して、懐疑論を語るのが相対的にかっこうよくなってきたことをあげたいと思います。


たとえば、10 年前は温暖化について語るのがもっとかっこうよかった。でも、それから月日が経って、温暖化について繰り返し繰り返し聞かされ、「エコ」ブームなどを経験した私たちの耳には、もはや「温暖化」は大して格好のいいものではなくなった。


そりゃ CO2 を減らすというのは正論だろう。でも、これだけ聞かされるとさすがにあきあきだ。代わり映えしない退屈な「地球に優しい」論はもうたくさん。


こんな時に、今までのように地球温暖化を語っても、もはや人の心にはとどきにくくなっています。


一方の温暖化懐疑論。CO2 による温暖化なんてウソらしいよ!なんと新鮮な情報でしょう。世界中の人が信じている地球温暖化。でも、それが間違いであるらしい。


マスコミは情報を売るのが商売です。そして、情報は珍しいほど価値がある。ウソでさえなければ、いや、ウソだとは思わなかったと言い訳ができる程度の材料を集めることさえできれば、温暖化懐疑論を報道することに躊躇はないでしょう。


マスコミだけではありません。アルファブロガーと呼ばれる人たちの一部も、温暖化懐疑論を取り上げることで、新しい情報に敏感であることを誇示することができるわけです。10 年前の状況なら、温暖化論を語っていたであろう人たち。でも、今、彼らは喜んで温暖化懐疑論を語るわけです。


この現状は、しかし、温暖化論者にとって悪いことだけでもないような気がします。


温暖化を語っていればそれだけで格好がよい時代は確かにあった。おかげでずいぶん低レベルの言説も、論理がしっかりと通っていない言説も、そこそこ見栄えがした。


でも、これから、そのようなものは淘汰されていくでしょう。アクセサリとして語られる温暖化論は消えていくのです。いまアクセサリとなりうるのは、温暖化懐疑論の方なのです。


今後温暖化を語るのはそれほど容易なことではなさそうです。「正論」を語るのは、しかも、それに対して有力と思われるな疑義が呈されているだけに、人の心に届くように語るのは難しい。


語って行くには芸が必要になると思います。


たとえば、先に書いた記事ではスピルバーグ流の正論の語り方を佐藤亜紀さんが書いていたと話しました。スピルバーグの芸によって、正論は人の心にとどいたわけです。


語り口を変えれば正論だって常に語ることはできるのです。努力が大事だという正論を、マーケットの馬車馬さんは別の記事で経済学の言葉を使って語っています。これなどはすばらしい芸だと思います。

人生という相場に向き合う方法
http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_de5e.html


もはや手垢のついてしまった正論を語るというのは難しい。でも、語りようによっては人の心に届くように語ることはできるはずです。なんと言っても正しいことを語っているのは確かなのですから。


温暖化について、CO2 削減について語りたい方。わたしは皆さんに遠慮せずに語ってほしいと思います。


それには芸が必要だと書きました。でも、そんなに難しく考えないでください。きちんと自分の言葉で語れば、それはそれで魅力的な文章になるはずです。


正論を語るという自分の格好の悪さを自覚しつつ、それでも語るべきこと、語らざるを得ないことを語る。正しいことを語っているのだからみんな耳を傾けるべきだ、なんて傲慢さを持たずに、丁寧に相手にとどくように温暖化を語る。


そんな語りがウェブ上にたくさん見られるようになったとしたら。


温暖化はいろんな声で語られるべきです。そして、それが懐疑論への最も効果的な対策になりそうだと私は思っています。