クライメイトゲート事件について、日経エコロミーに

江守正多さんが書かれています。


クライメートゲート事件」続報・科学にとって「査読」とは何か(09/12/28) -- 温暖化科学の虚実 研究の現場から「斬る」! -- Nikkei Ecolomy
http://eco.nikkei.co.jp/column/emori_seita/article.aspx?id=MMECza000024122009


私としては内容には同意するだけなのですが、本題と離れたところで、ちょっとだけ思うことがあります。


江守さんは本文中で査読システムが IPCC レポートの信頼性を担保していると書かれていますが、それでは、どんな人によって査読されているのでしょうか?


査読者は、第一作業部会については気候学の専門家から選ばれています。そして、IPCC は気候学の専門家の組織です。


私自身は、厳しい査読が行われたことを知っています。また、IPCC レポートは非常に妥当な、というより、私にとってはすこし保守的な、つまり、温暖化による影響を私の感覚よりは低めに見積もったレポートになっていることを知っています。妥当な、もしくは保守的になったのが査読の結果だとは言いませんが、すくなくとも査読を含むシステムがきちんと機能していると私は思っています。


でも、温暖化懐疑論者にとってはどうでしょうか?所詮、査読者も IPCC 側の人間だということになるのではないでしょうか。


これは複雑な問題です。専門家が一致して「地球は温暖化する」と考えている中で、懐疑論者も含めた万人が公正と認める査読者を選ぶことはできるのか?


気候の専門家がごっそりと集っている IPCC において、"外部"に十分な知識を持つ査読者を求めることは不可能です。また、気候を知れば知るほど温暖化のことを認めざるを得ない状況で、懐疑論者を納得させる査読者を集めることはできません。


ということで、どんなにしっかりした査読制度を持っていても、IPCC のレポートは絶対に懐疑論者を納得させることはできません。残念です…。


まあ、だからなんだということは無いのですが。なぜなら、懐疑論者の側は IPCC のものに匹敵するレポートをまとめることはできないのですから。