たまに読みに行くブログ?で

読んだ言葉に刺激を受けて。温暖化懐疑論に関する警句を考えてみました。


「温暖化論者はすべて互いに似かよったものであり、温暖化懐疑論者は誰もがその懐疑のおもむきが異なっているものである。」


もうちょっと毒を含んだバージョンは、


「温暖化論者は気候についてすべて互いに似かよった理解をしており、温暖化懐疑論者は気候について誰もがおもむきの異なった理解をしている。」


そんなに毒でもないか。ではもっとちゃんと毒を吐くと、


「気候を理解している者たちはすべて互いに似かよっており、気候を理解していない者たちはそれぞれその不理解のおもむきが異なっているものである。」


いえ、最後のやつは謙虚さが足りないし、誤解を受けそうな表現を含んではいるのですが…。でも、そのくらいでないと警句としては迫力不足なんですよね…。


気候からもっと一般化して。


「幸福な脳みそたちはすべて互いに似通った理解をしており、不幸な脳みそたちはだれもその不理解の趣が異なっているものである。」


世の中は不幸な脳みそにあふれているからこそ、楽しいのだとおもいます。こんなブログを書いている私も含めて、ね。


まあ、わかると思いますが、元ネタはトルストイのあの有名なアンナ・カレーニナの冒頭です。


幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである


アンナ・カレーニナ (上巻) (新潮文庫) (文庫)
アンナ・カレーニナ(上) (新潮文庫)


これ、数年前に買ったのだけど読んでません(;_;) こういうのって大学生ぐらいの時に読んでおくべきだったなーって思います。ロシア文学を読む気力と体力はもはや私には…。


ちなみに、たまに読みに行くブログとはこちら


溜池通信
http://tameike.net/


経済系のブログでして、2009 年 11 月 11 日の日記にこんなことが書いてありました。


「すべての儲かっている企業はどこも似たようなものだが、ダメな会社はそれぞれの方法でダメになる」