何となく朝生に関係していそうな

記事を、武田邦彦さんがブログにアップされていました。


科学が政治と結託すると -- 武田邦彦 (中部大学)
http://takedanet.com/2009/09/post_d86d.html


記事中に、朝生に一緒に出演されていた丸山茂徳さんの名前が出てきます。そして、記事のメインは、江守さんが所属する国立環境研究所批判。


国立環境研究所は,学問の自由がない.このことは研究所のおもだった人に直接,申し上げているので,ここで言うのもフェアーである。

国立環境研究所には,研究員がテーマを自由に選べず,上司がいて,査定がある.すべて学問の自由に反する.そしてその結果,たとえば温暖化について,金太郎アメのように研究員が「温暖化危ない」と言う.


学問の自由が無い、というのはどういうことなのでしょうかね?組織の中でお金をもらいながら研究する場合、どうしてもそれなりの不自由さを感じてしまうもの、それは当たり前。上司は国民の税金がきちんと使われているかどうか考える義務があり、また、部下の中で有能な人材を評価する必要があり、査定をしなければならないのは当たり前。


この当たり前のことが、学問の自由に反するかどうか、ですが、どうでしょうかね?程度問題だと思いますが…


なぜ、学問の自由に反する組織がまずいのか?その一つには、研究能力が下がってしまうから、ということがあります。上司の言うことに唯々諾々と従って研究する研究者の集まりは、科学的な成果を生み出しにくいもの。


もし国環研がそのような組織なら、そのうちぐだぐだになって消えていくことでしょう。だから、外から学問の自由がない、と批判するよりも、じっくり観察していけばいい話だと思います。もしくは、「学問の自由がない」ではなく、「国環研の研究はしょぼい」とかなんとか言って批判すれば良いことだと思います。そういいたいのかな?


私が見たところ、国環研は結構がんばっていますよ、って、そんな上から目線で評価できる立場にはないですが。



武田さんは、結局、自分の意見に賛同する人が国環研内部にいないのが不愉快なのだと思います。


その武田さんがやるべきは、研究者を振り向かせるだけの、「温暖化しない」という結果が出てくる気候モデルなり理論なりを構築すること。これができれば、国環研内部の研究者も、「温暖化危ない」以外のことを言い始めると思いますよ。


もちろん、武田さん単独では無理だとは思いますが、でも、他の懐疑論者を結集して力を合わせればできるはず。是非、やってもらいたいですね。懐疑論者は結集すべきだ、というのは私の持論です。

地球温暖化懐疑論者よ、団結せよ!! -- 温暖化の気持ち
http://onkimo.blog95.fc2.com/blog-entry-21.html


あれ、また武田さんが IPCC 派であることを忘れて記事を書いてしまった…
http://d.hatena.ne.jp/onkimo/20090819/1250639313