槌田さんが気象学会を訴えた訴訟で

槌田さんの弁護士を務めておられていた方が解任されたと聞きました。げおさんに教えていただきました。こちらの槌田さんによる報告をお読みください。

http://env01.cool.ne.jp/global_warming/saiban2/20100612.pdf


私、以前、あんな勝てそうもない槌田さんの訴訟を応援するなんて、実は訴訟費用目当ての悪徳弁護士なのではないか、ということを書いて、tune さんにコメント欄でたしなめられたことがあります。


とほほ、提訴って (8) 槌田氏の提訴と真珠湾攻撃
http://onkimo.blog95.fc2.com/blog-entry-68.html#comment_top


tune さんのおっしゃるとおりで、槌田さんの訴訟の弁護をしても、うはうはになるような大もうけはできなかったことでしょう。今は、良心的な弁護士さんだったのではないかと思っています。


弁護士さん、柳原さんとおっしゃいますが、彼はこちらに槌田さんの裁判に関するページを立ち上げておられました。


槌田 敦 VS 日本気象学会
http://song-deborah.com/case1/
魚拓
http://megalodon.jp/2010-0627-2232-25/song-deborah.com/case1/


この中に、「報告−−3つの初対面と2つの驚き−−」と題された文章があります。ぜひ読んでいただきたいのですが、著作権専門の弁護士が槌田さんと出会い、気象学会との戦いを知って、槌田さんの弁護に奔走することになる過程が情熱的に語られています。


ページ自体も手作り感あふれた暖かさを感じさせる作りで、法廷外での槌田さんの活動を写真付きで紹介するなど、私も反対の立場ながら好感を抱いておりました。もちろん、代理人という立場上、槌田さんの都合の悪いことを書くことはできないのですが、それを差し引いても槌田さんへの思いやりを感じていたのです。


それが、解任。驚きました。


正直、私はこの弁護士さんのおっしゃることに同意できない部分があります。いくつかあるのですが、一つは「5、科学と偽装科学(疑似科学)とのはざまに置かれた我々市民」の最後の部分。

21世紀の最も重要な課題は、「偽装科学」に転落する危険をjはらんだ科学にこそ、文字通りシビリアンコントロール(市民による監視)が及ぼさなければならないことにある。
その重要性を改めて痛感させられたのが本日の判決だった。
我々市民にシビリアンコントロールの原点を思い出させてくれたという一点でのみ、この判決は素晴らしい。

科学をシビリアンがコントロールする。これを、特に弁護士という立場の方が広言しているのは、私にはとても危険だと思います。


なぜならば、科学 (ここで言うのは自然科学のことですが) をコントロールするのは究極的には自然しかないからです。


科学はいま、確かに難しい時代にあると思います。強力になった科学は人間のあらゆる活動に影響を及ぼし、経済的、倫理的な衝突を起こしたりもしています。


しかし、一方で自然科学の重要性は今後増しこそすれ、薄れることはない。


シビリアンコントロールは大切でしょう。しかし、それが全てではない。ましてや、それが法廷でなされるべきだとは思いません。シビリアンが好まないからといって、科学が法廷でたたきつぶされるべきではない。


科学には正邪の判断はなじみません。最後に頼りになるのは、自然を謙虚に見つめる姿勢です。そして、それは法廷に存在するものではない。


科学の扱いは、もっと微妙で精密な手段にゆだねられるべきなのです。


おやおや、脱線が長くなりました。シビリアンコントロールの件はともかく、私は柳原さんが槌田さんにぴったりの弁護士だと思いこんでいたのでした。それなのに、解任。


さて、槌田さんは弁護士さんと袂を分かったわけですが、このあとどうなさるのでしょうか?


他に代理人を見つけるつもりなのでしょうか?私には、柳原さんより槌田さんのことを理解できる弁護士さんを見つけるのは大変なのではないかと思います。


それよりも、槌田さんのことですから、御自身で法廷に立ち向かわれるのではないかと思っています。


この裁判、私には、代理人を立てるような普通の方法では活路は開けないのではないかと思えます。それよりは、槌田さんが御自身で立ち向かうのが、勝つ可能性が高いのかも知れません。


私には第一審の判決が覆されるような気はしません。ですが、裁判とは、究極的には勝負事。そして、槌田さんは勝負師だと、私には思えるのです。


これからも、裁判のゆくえを見ていきたいと思います。