列伝の後はモデルについて

書くつもりです。いつか書きたいと思っていました。


モデル、というのはもちろん気候モデルのことなんですが、それだけではなくそもそもモデルとは何かから話すべきだろうなと思います。その点ではこの廣田さんの本は参考になります。結論にはかならずしも賛成ではないけれど。


グローバル気象学 (気象の教室)


でも、いつもながら書くことが多すぎて収拾がつかなくなりそうです。シリーズも中断しながら続けることになるでしょう。


あと、モデルについては既に江守さん本が出ているので、もはや私の書くことは残っていないのではありますが。


地球温暖化の予測は「正しい」か?―不確かな未来に科学が挑む(DOJIN選書20)


とはいえ、私なりの切り口で、私の考え「モデルとはコミュニケーションの手段である」ということを語っていきたいと思います。これの考えが伝われば、モデルがどれだけ眉唾で、それにもかかわらずなかなか信用できるものだというのがわかってもらえるんじゃないかな、との希望のもとに。


まあ、私の考え方であって、別にスタンダードな考え方ではないので、それを前面に打ち出すのもまずいかもしれませんが。私、温暖化シミュレーションのモデルを作ったわけでもないですし、かならずしも説得力はないわけでして…。


いずれにせよ、まだまだずっと先の話です。はよ列伝を終わらせよ。